【台中・宝覚寺】日本兵として出兵し亡くなった3万3千人もの台湾人がいたことを私達は知らなかった

2018年11月7日

台中の街に日本統治時代に建立された宝覚寺。このお寺に、統治時代の台湾で亡くなった日本人の共同墓地があるというので、出かけてみました。

現地に行ってみると、日本人墓地とは別に、とある慰霊碑を見つけました。それは、世界大戦で「日本人」として出兵し戦死された、たくさんの台湾の人々を慰霊する碑でした。

 

宝覚寺へは、台中駅西口の旧駅舎正面あたりから伸びる道路を歩いて2~3分の「第一廣場」というバス停から、303か304系統バスに乗ります。2018年11月訪問時は、このバスの終点が宝覚寺なので、迷うことなく行くことができました。

 

303系統、304系統どちらにしても本数たっぷり。時間を気にしなくていいのが助かる。

 

終点「新民高中」に到着。バス停から道路を渡ったすぐ目の前に宝覚寺はありました。バスは折り返してそのまま始発便として発車するので、帰りもわかりやすかったです。

 

…おや?建物の陰からチラリと何か見える。

 

まずは本堂をお参り。

 

これ何だろう?おみくじかな?

 

この日の気温は30℃。暑さでワンコも寝ています。

 

そして本堂向かって右に進むと、どーーん!と、大きな金ぴか布袋様。右下の歩いている人と比べて、その巨大さがわかると思います。

 

池がありました。

 

鯉に混ざって、なんか違うのがいる。

 

次に本堂向かって左へ進むと、統治時代の台湾で亡くなった日本人の共同墓地です。こうして丁寧に管理してくださる台湾の方々に感謝です。日本人の共同墓地は木陰にもうひとつありました。

 

霊安故郷慰霊碑?「ここは何だろう?」と、パンフレットが置かれていたので読んでみると、なんと日本兵として戦地へ行き亡くなった台湾の人々の慰霊碑でした。パンフレットには「日本国陸海軍人軍属として戦場に散華した三萬三千余柱英霊の鎮魂慰霊碑である」と書かれています。

三万三千!?そんなに多くの台湾の若者達が日本の為に戦死していたなんて、まったく知らなかった…。

今や台湾は日本人の間で一二を競う人気の旅行先で、毎日たくさんの日本人観光客が訪れています。けれど日本の為に3万3千人もの台湾の若者が亡くなっていたことを、私達を含めいったいどれだけの人が知っているんだろう?と思いました。

パンフレットは「願わくは今後共台日両国の絆を尚一層固く結び益益交流を深めることが諸英霊に報い致すことと固く信ずるものであります。」と綴られていました。

民間レベルでは、他にこれほど相思相愛な国もないんじゃない?と思えるほど友好関係を築いている日本と台湾。こういう史実を知るのも日本人としての責務なんじゃないかと思いました。

この宝覚寺が台湾旅を締めくくる訪問地となりました。この宝覚寺に最後に来られてよかったと思います。

では、きょうはこのへんで。

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