「なんだインレー湖まで行ってほとんど観光もせず、温泉も二つしか入ってないのか」の惨敗結果を濁すため、「ほら、ほら、大人気のカックー遺跡にも行ってきましたよぉ」の記事も書いてみたいと思います。
といってもホテルでチャーターしたタクシーに乗っかって、ボケーッと周囲を眺めながら連れて行ってもらっただけで、特に旨味のあるネタらしいネタもないんですが。
往復タクシーチャーター料金は一台45000チャット(約3150円)也。今思えばそのタクシーチャーターを温泉探索でも利用すれば随分と効率も上がっただろうなぁと後悔しています。
さて実際にカックー遺跡に行ってみて、どうやらこの数年でカックー遺跡を巡る環境に変化があったようで、ネットやガイドブックで散見されたほんの少し前の情報と、実際の訪問時とでは相異がありました。まぁどれもこれも目くじらたてる程の事ではないし、この記事の情報すら数か月後には変わっているかもしれませんのでくれぐれも。
カックー遺跡訪問で以前の情報と変わったと感じた点
手持ちの地球の歩き方によると、以前はカックーに入るには入域料の支払いとパオ族のガイドをつけなくてはならないという規制があったようですが、訪問時の2019年2月にはそういう縛りは一切無くなっていて、遺跡拝観料3US$のみでした。
以前はニャウンシェから(上記のガイドをつけるため?)タウンジーの街を経由するルートが鉄板だったようですが、訪問時ではタウンジーは経由せず、直にインレー湖東側の道を南下し、途中で東の山道をあがり(整備されているのでキツイ印象はありません)、ニャウンシェからは約2時間弱で到着でした。
道中のあちこちで道路の整備をしている様子があり、ガイド不要化の件も含めて、
・・あれぇ?もしかしてインレー湖や周辺の山岳民族の文化と抱き合わせで、世界遺産入りを目指してるのかなぁ?そのための簡略化かなぁ?などと思ったりして。
ではカックー遺跡へ行ってみましょう
ニャウンシェの観光中心地からカックー遺跡までは、のどかな畑の中を進みます。まず目立つのはサトウキビ畑で、あちらの工場で砂糖を作っているようです。
これはニンニク・・と言ってました。
豆栽培も盛んで、私達に見せるために運転手さんが畑からちょっといただいてきた外皮を剥いた豆が「なんとなく美味しそう」に見えて、運転手さんを含め三人同時に口に放り込んで勢いよく噛んだら
「なんじゃああぁぁ、こりゃゃゃ!石やんけ!歯が折れるやんけぇぇ!」
と目をむきながら、三人揃って口から吐き出すというコント状態になりました。
これは煙草の葉らしいです。煙草の葉もまた、大切な農産物のひとつですね。
この辺で農作業をしているのはパオ族のみなさんだそうです。上下黒い服で頭に鮮やかなオレンジ色の布を巻いたパオ族の皆さんもお見かけしました。
そしていよいよ、なにやら尋常じゃない景色が見えてきましたよ!
ひょえぇぇぇーーーっっ!なんなんですか、アレはっっ!?
いよいよカックー遺跡へ
まずは入口右手にあるチケット売り場で拝観料を支払います。
料金体制が若干謎でした。「よーーし、気前よくユーロで払ったろ」と思いましたが、生憎手持ちが無かったのでドル払いにしました。
下記リンク先のGoogleマップ赤ピン部分が入口です。楕円をした敷地がカックー遺跡です。
そしてこちらがカックー遺跡入口。カックー遺跡も他のミャンマーの寺院と同様に境内は素足になります。下足箱のようなものもありましたが、多くの人は入口付近に置き去りにしていました。
じゃーーん!どうです!この凄まじい仏塔群。
こんなトゲトゲ見たことありますか?
ここからの先のカックー遺跡に関するうんちく、歴史、見どころ、穴場、カックーのひみつは、「世界ふしぎ発見」におまかせするとして・・
この特異な2478もの仏塔群(この妙に詳しい数字は地球の歩き方からの受け売りです)、「かなり映える」のでセルフィ大好き三大国(インド・タイ・中国)の皆さんにもぜひおススメしたいと思います。こういう「何かの集合体」というものに人々はなぜか惹かれますね。
この仏塔の大群、十二世紀にバガン王朝四代目アラウンスィードゥ王が、この地に住むパオ族とシャン族に、仏教の守護大王アショーカ王が建立した(かもしれない)仏塔へ「各家庭ごとに仏塔を寄贈せよと」無茶ぶりしたのが始まりのようです。私の勝手な解釈ですが「ここを交流の場とし、民族同士仲良くしなはれ」の意味もあったんじゃないかなぁー・・と思いますが。
大きさの違いは建立した家庭の財力の違いとのこと。まぁ、日本の鳥居や卒塔婆も同じような感じですね。
訪問時は上部がひん曲がったり破損している仏塔も目立ち、あちこちで修復中でした。
地球の歩き方によると2016年4月の雹害(ひょう害)が原因で破損したとのことです。
仏塔の森と化した境内を歩いていると、なんだか異世界に迷い込んだような気分になります。
時折吹き抜ける風がてっぺんの金属を揺らし、さわやかな鈴の音となり境内を通り抜けます。
そして、仏塔内にはミャンマーらしいホノボノ仏像も納められていました。
中央部にはレリーフが見事な仏塔もあり、思わず見入ってしまいます。
たぶん、それぞれに意味があるんだろうけれど、まったくわからなかったのが残念。日本語ガイドをつければもっと楽しめたと思います。
所どころ彩られた鮮やかな青色が印象的でした。
カックー遺跡の涅槃仏
こちらの建物、中に入ってみると・・・
中に大勢の人がいる、と思ったら、
涅槃仏が納められていました。
おさかなさん。
発見当時の様子が大雑把に貼り出されていました。
あ、おさかなさんもいました。
お次はこちら。ミャンマー人が入れ代わり立ち代わり覗き込むブタにしか見えない「金のイノシシ」がいました。日本には、こういう時のために便利なイノブタという言葉があります(嘘)
このイノブタさんがが森の中から仏塔を掘り出した、カックー遺跡の功労者のようです。
ミャンマーの寺院大定番アトラクション「穴からお金を投げてイノブタさんに乗るといいことあるかもよ!?」な運試し系で、金のイノブタさん、現代においてはお布施を集める功労者ですね。
カックー遺跡の真髄・・かもしれないアショーカ王にまつわる仏塔
そしていよいよカックー遺跡の真髄ともいうべき仏教の守護大王アショーカ王が建立した(かもしれない)仏塔。それを取り囲むように回廊が造られ、仏像が祀られています。
パオ族のルーツといわれる夫婦の像もあります。妻は龍の化身だったそうです。日本の雪女といい、トルコのシャフメランといい、女性が異界側の悲恋が世の鉄板なんですかね。
これまでのベージュやモノトーンのカックー世界とはガラリと変わり、煌びやかに彩られ、ここだけは銃を持った警備の人もいます。(この後訪問した)スリランカに祀られている仏歯のレプリカも祀られているとのこと。
更に先へ進むと・・・
ミャンマー人がみんな撫でたり画像に収めていたりしていた白馬の像。何かご利益があるのかもしれません。真似して私達も撫でて撮ってみました。
その先は広大な大地を流れる川が見えます。この川がパオ族とシャン族の境界線だったとのことです。
以上で「インレー湖からタクシーチャーターで行くミャンマーのカックー遺跡」は終了ですが、今回の訪問でパオ族をはじめとするミャンマーの多様な民族に興味を持ち、これまでまったく参加する気の無かった「山岳民族の村を訪ねるトレッキングツアー」に急遽参加することにしました。
そして、そのトレッキングがミャンマーでの一番の思い出となったわけですが、それについては次回の記事で。