実は今回のフエ訪問最大の目的は、世界遺産の王宮散策ではありませんでした。むしろこれに関しては最初は「行かなくてもいいかー」程度でした。実際に行ったらそのラストエンペラーな世界観と、ベトナム戦争時に破壊尽くされた後の復興を目の当たりにして「人の立ち上がる力って凄いな」と、エラく感銘したけど。
フエに来た一番の目的、それは・・・
DMZ(非武装中立地帯)、そして軍事境界線を見学することでした。
この軍事境界線を境に二つの国家に分断し、後に泥沼のベトナム戦争へ雪崩込んだその地を、実際にこの目で見てやろうじゃないか、ということです。
最初は一瞬だけバイクを借りて行こうかと思いましたが、あまりに距離があるんで手っ取り早くツアーに参加することにしました。実際、見学した施設と施設も距離があって、ツアーにしておいてよかったと思います。
フエの市街地で見かけた自転車軍団を(全員高齢の欧米人)ロックパイル近くで見かけた時は「うわっ、こんなとこまで自転車で来るんだ」とビビりました。まぁ、本格的な装備の皆さんだったんで、このくらいの移動なんて屁でもないんでしょう。もしかして何日間かかけてホーチミンルートを走破していたりして。道路状況はさっぱりわからないけど、可能なのかな?
フエの街中にはツアー会社がいくらでもありますが、どこがいいかわからないし自分たちで探すのも面倒くさいし、宿泊していたホテルにお願いすることにしました。前日の夕方予約で全然OKでした。料金は約2000円、当日現地払いとのこと。
さて当日。
指定された朝7時30分にホテルのロビーで待っていると、ツアー会社のお兄さんが迎えに来ました。表通りにはミニバスが待機していて、中にはすでに満席近い欧米の方々が乗っていました。どうやら参加者を各ホテルへピックアップしながら巡回していたようです。その後も数軒のホテルをまわりバスは見事に満員御礼。参加者は少ないと思っていたけれど、DMZツアーって大人気なんですね。連日ベトナム関連のニュースにまみれた私達世代以降の参加者が多いのかと思っていたら、意外にも若い人が多くてちょっと驚き。
フエの中心地から離れ、郊外の埃っぽい道路を走ること2時間ほど、ドンハというちょっと賑やかな街に到着。ベトナム戦争時の重要拠点だった場所です。ここで女性ガイドさんが乗り込んで来ました。
ロックパイル
まず最初に到着したのは、峠道のようなところから眺めるロックパイル。アメリカ軍の砲撃基地兼監視所だった岩山です。
あの山は下から歩いて登ることも物資を運ぶことも困難で、空から輸送物資を降下させていたんだと思います。位置的に今写真を撮っているこの道らへんなんかは丸見えで、監視所にするにはベストポジション。そのためこの辺り一帯は枯葉剤で丸裸にされました。
ダクロン橋
周囲を深い山に囲まれた川にかかるダクロン橋です。ホーチミンルートと呼ばれた北ベトナム軍の物資運搬ルートをつなぐ橋で、まぁ当然のようにアメリカ軍によって破壊されたわけですが。
ホーチミンルートは北ベトナムから南ベトナム解放民族戦線への物資輸送のため、カンボジア・ラオス両国の領土を跨ぎ、徒歩でしか進めないジャングル道までも利用した直線1400㎞に及ぶルートのことです。
アメリカ軍はこのルートに連日クラスター爆弾の雨を降らせ、そしてその都度北ベトナムは修復。この修復に動員された人員はなんと20万人。当然多数の犠牲者があり、別名血のルートなんて呼ばれていました。
このルートの特徴としてはその9割をラオス領土を通過するため、当時ラオスでの犠牲者はモン族を中心にとんでもないことになっていました。けれどモン族にとっての真の地獄はビエンチャン陥落後で、アメリカに協力していた彼等は、婦女子の区別なく民族浄化に匹敵する虐殺を受けたわけです。
今は美しく流れる川に、どれだけの血が流れたんだろう・・と思います。
米軍ケサン基地跡
先ほどのホーチミンルートを叩くために滑走路まで造られた最前線基地跡です。
熾烈な激戦の後、アメリカ軍はかろうじて勝利するも、後にこの基地を自ら破壊し放棄。
これを機にアメリカ世論がベトナムからの撤退に舵を切りはじめる・・と、こんな感じでベトナム戦争の流れを変えた舞台のひとつでもあるわけです。
この時の戦闘は凄まじく、雨のように降り注ぐ空爆の中、アメリカ側では核兵器の使用も検討されたほど。
もし本当に使用していたら、当時北ベトナムについていたあの両国が黙っちゃいないと思うので、北半球は壊滅的被害を被り世界の歴史は大きく変わっていたかも。
いまは静かに草原の草木が揺れる、穏やかな時間だけが流れていました。
この敷地内には、ベトナム戦争時のものと思われる古いピンバッジやコインなんか売るおじさんが数人いて、さっそく三昧が捉まり何やら話しをしています。どうやらバッチを一個20000ドンで買ったようです。本人によると「あの人たちも生活かかってるから大変なんだよ」ってことです。ところがそのバッチ、購入直後から見当たらないんですよね。たぶん途中で落としたんだと思います。バッチがこの地を離れたくなかったのかなぁ。なんて思いました。
ところでこのケサン基地跡の周辺は現在コーヒー農園となっていて、たいへん薫り高いコーヒーがいただけます。
ツアー参加者の中にひとりだけ一切戦争関連の展示物には目もくれず、ずーーっとコーヒー店に居座った初老の男性がいたんですが、どうもこの御方はDMZ関連には興味なく、このコーヒーを買いに来るためだけにツアー参加したようでした。
「へー、そんなに美味しんだ・・」と私達も一杯(15000ドン)いただいてみると、これがとても香り良く味わい深いコーヒーでした。
お昼ごはんは、ツアー会社に連れてこられた食堂で各自自腹です。おそらくツアー会社に多少なりマージンが下りるんでしょう。
そのためなのか、やや高め設定ですが、結構おいしかったんですよ。ここのフォー。
ヒエンルオン橋
南北分断を現代に伝えるヒエンルオン橋。残念ながらすぐ隣の橋から車窓見学でした。ビンモックトンネルの行きと帰り、二回通過し見学しました。
ビンモックトンネル
そして最後に訪問したのはビンモックトンネルです。ここはベトナム戦争時、戦火から逃れるために地域の住民が地下に居住区を造った場所です。
海岸すぐ近くの鬱蒼とした樹木や竹林に囲まれた場所で、スターフルーツもたわわに実っていました。こんな場所柄か下車したとたん蚊にわんわんと囲まれました。
まずは資料館見学。
トンネルのジオラマがありました。その内部はアリの巣のように複雑な構造になっていました。
それでは現地ガイドさんとともにトンネル内部へ。
内部には幾つかの部屋が造られ、集会所、
診療室、調理室など設けられたようです。
このトンネルの中で赤ちゃんも誕生しました。
ここではビンモックトンネルの現地ガイドさんがいろいろ案内してくれるんですが、もし一人でこのトンネルに入ったら迷って出られなくなりそうなほど複雑な構造になっていました。
トンネルを抜けると、そこは真っ青な海でした。
人間って逞しいなぁと思ったビンモックトンネルでした。
日本にも(あまり知られていませんが)戦時中に造られた大規模な地下トンネルが、長野県の松代に存在します。こちらは日本軍がその中枢をまるっと移転させようという、かなり壮大な計画のものでした。
・・・え?画像が見てみたい?
しょうがないなぁ。貴方だけ特別ですよ。
↑松代の象山地下壕。2009年に撮影したものですが、場所が場所なだけに特に変化はないと思われます。
↑解説。別に文章を打ち込むのが面倒なわけじゃないですよ。
話はビンモックトンネルに戻りまして、ここで訪問地は全て終了のようです。途中、再びドンハを通り、ガイドさんとは「バイバ~イ」と、ここでお別れです。そこから更に5分ほど走ったところで、私達の横に座っていたお兄ちゃんがゴニョゴニョとドライバーさんに話しをしています。すると車が停まり、お兄ちゃんはザックを担いでそのまま降りてしまいました。「おおっ、そっかー、ツアーの途中で離脱して移動費を浮かすテもあったか~」今度機会があれば試してみよう~。
フエ中心地に着いた後は、それぞれのホテル前まで届けてくれるというありがたいサービスつきでした。みんないいホテル泊まってたなぁー。
それはそれほど遠い過去ではない、ベトナムとその周辺国が歩んだ激動の歴史をあらためて思い起こす、貴重な一日になりました。
それでは、きょうはこのへんで。