
前回の投稿で、ウズベキスタンの独立記念日にタシュケントで行なわれたイベントを見に行きましたが、もう一箇所訪問した場所がありました。実は、この訪問が一番の目的地でした。
独立記念日の9月1日に訪れた場所、その名も「独立広場」です。

地下鉄ムスタキリク・マイドニ駅(Mustakillik maydoni)を降りてすぐに豪華な噴水エリア。日本であまり噴水に接する機会が無かったから、くるくると変化する水芸に見入ってしまった。

銀色に輝く高ーーいゲートを潜ります。この日は独立記念日の祝日だったからか、大勢の人で賑わっていました。

ちなみに別の日はこんな感じに、あまり人がいませんでした。

木立の向こうに、赤ちゃんを抱いた女性の塔が見えます。上に乗っているのは地球儀かな?塔の下にはたくさんの献花が見えます。ところが、なぜかあの塔に近づくことができないんですよね。かなり離れた場所から立ち入り禁止になっていました。

綺麗に整備された緑豊かな道を進むと…

大きな女性の像がありました。

ゆらゆらと揺れるオレンジ色の灯の向こうに立膝をつく女性像は、よく見ると、とても哀しい顔をしています。

この像は戦争で子を亡くした母とのことです。ここは戦没者慰霊の地でした。

木立の中に広い回廊があり、

壁に大きな銅板がたくさん並んでいました。

その一枚一枚に、第二次世界大戦で亡くなった戦没者の名前が刻まれていました。

第二次世界大戦時、旧ソ連の構成国だったウズベキスタンは、連合国として出兵し多くの犠牲者を出しました。

その中の、とある場所で手が止まりました。
1980年~88年頃に無くなった二十歳前後の若い方々の名が大勢刻まれてる…。この年代にウズベキスタンで何があったんだろう?
気になり調べてみたものの、それらしき出来事は見つけられず。そこでウズベキスタンでご結婚され現地で暮らすFFさんに伺ってみたところ、お父様に聞いてくださり、旧ソ連時代のアフガニスタン紛争だったことが判明しました。
旧ソ連がアフガニスタンに軍事侵攻し、アメリカと旧ソ連の関係が一発触発状態の新冷戦と呼ばれたあの頃、日本はモスクワオリンピックをボイコット、国際情勢は大きくうねり、やがてソビエト連邦共和国崩壊の一因となったあのアフガニスタン紛争です。
日々淡々と流れる遠い異国のニュースの向こうで、こんなに大勢の若者が尊い命を失っていたのかと…。

2022年2月、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まりました。

ソビエト連邦の構成国であった中央アジア各国の、迫られた岐路の選択は、重く悩ましいものだったと思います。
