
2018年11月24日
ベトナム戦争の悲劇を知る「戦争証跡博物館」の次は、旧南ベトナム大統領官邸(現:統一会堂)へ行ってみました。

戦争証跡博物館から近く、ぷらぷら歩いて移動ができます。行ってみると、なんと昼休み中でした。ベトナムの施設ってしっかりと昼休みをとる所が多いです。出直して再度訪問。

昼休みも終わり、無事入館。

さすが旧大統領官邸、綺麗に整備された広く優雅な空間で、ゴミの散らばる街と同じ国とは思えません。
1975年4月30日午前、当時就任したばかりのズオン・バンミン大統領が無条件降伏をラジオ放送で発表し、南ベトナム大統領官邸(現:統一会堂)に北ベトナムの戦車が突っ込むという、劇的なサイゴン開放の様子が世界を駆け巡りました。
これにより南ベトナムという国が消滅し、ベトナム戦争終結の狼煙があがった歴史的な地です。

「1975年4月30日戦車」のレプリカが置かれていました。こちらは正門から最初に突っ込んだ390号。

屋上に旗を掲げた843号のレプリカも置かれていました。

ひっそりと戦闘機も展示されていました。これは大統領官邸を爆撃したのと同じ型の戦闘機らしく、2005年の南部開放30周年記念で展示されたとのこと。

それでは館内にお邪魔します。

案内板によると、ここは内閣会議室だそうです。何故かどことなく漂う昭和感。

宴会場的なところ。ケバケバしさのない落ち着いた雰囲気。そして、やっぱり、どこか漂う昭和感。

大統領執務室だそうです。案内板には南ベトナムの大統領だったグエン・バン・チュー(ティウ)について書かれていました。
民衆から「小さな独裁者」と揶揄されたり、最終的にアメリカに見捨てられる形でジエンドになったり、サイゴン開放の際は金塊を持って逃げようとした説もあって、なんとも哀れなイメージが強い人ですねぇ。

屋上のヘリポートが見渡せる場所に来ました。外を見るとなかなかの勢いでスコールが降ってます(すぐ止んだ)。赤丸は小型爆弾が落ちた場所らしいですよ。
このヘリコプターは外の庭にある戦闘機と同じく、南部開放30周年記念で展示されたらしいです。

広い厨房に来ました。ここは来賓や国賓晩餐会など、大きなイベント時に使用する厨房だそうです。この他に大統領の日常的な小さなキッチンが中二階にあると案内板に記されていました。
さて、ここからが本題。この御殿には、もうひとつの顔があります。この厨房から、さりげなく何の変哲もない通路がのびていまして…

通路から細い地下へ降り進むとその先には・・

無機質な軍事施設がありました。

複雑に入り組んだ細い廊下沿いに、いくつもの小部屋が造られています。

豪華絢爛華やかな上層部とうってかわっての、この無機質っぷり。

無駄なものは無く・・といっても当時はあったかもしれませんが、現在は、怖いくらい無機質です。

大統領執務室。

大統領のお部屋。

とろろで、この地下軍事施設、強烈に蒸し暑いんですよ。北ベトナムにやられる前に熱中症にやられそう。当時の人は大丈夫だったのかなぁ?

狭い通路を塞ぐように、大統領が乗っていたベンツがドーンと置かれていました。これは1995年の南部開放20周年記念に展示開始したらしいです。…それにしても、統一会堂にはまだまだ空きスペースがいっぱいあるのに、どうしてこんな狭い通路に置いたかなぁ、もうちょっと広い所に置けばいいのに。
20周年でベンツ、2005年の30周年記念で戦闘機とヘリコプターが置かれたからには、50周年記念の2025年には更にサプライズ的な何かを展示する…かも?グエン・バン・チューが逃走の際に持って行こうとした金塊のレプリカなんてどうでしょう?

最後は映像室で、統一会堂の歴史について学びました。幾つかの言語別に部屋がわかれていて、なんと日本語の映像が流れる部屋もありました。
映像がいよいよ終盤にさしかかるという所で某ツアーの団体さんがどやどやと入ってきて、ガイドさんが私達をチラリと見つつ映像を突如切り、最初からスタートさせるという暴挙に。「うぉぉーーっっ、なんという図々しい真似すんじゃぁぁぁ」(と、小心者なので心の中で叫ぶ)
でも、まぁ、ぶっちゃけこの映像、似たような名前の登場人物が続々と登場して、わけがかわらなくなりかけていたんで、2回見てようやく理解できるレベルでした。

外に出る頃にはスコールも止み、遅い昼食を通りの屋台で食べました。ベトナムは食べ物が美味しくて安いし、お店もいっぱいあるんで、食事の苦労が無いのが嬉しいです。これで群がるハエが少なければ最高なのになぁー。(ベトナム・ハエ多すぎ問題)

