2019年8月26日
ゲストハウスのお母さんの華やかな朝食で始まるブハラの朝です。
きのう普通列車でサマルカンドからブハラへやって来たばかりですが、一日も休む間もなく観光に繰り出します。
ブハラの滞在予定は移動日を合わせて四日間、丸々フリーは中二日だけ。あれだけインドでダラダラと4ヶ月過ごしたのに、ウズベキスタンに来た途端このハイスペースは一体何ぞ?
まずは午前中の涼しいうちに、有名どころのメドレセやバザールを観光。やって来たのはブハラ1番の人気観光スポット「ブハラ歴史地区」のポイカロン広場です。荘厳優美な建造物やバザールが集まる贅沢ポイントです。
到着早々画像の辺りで「ランチを御馳走するので家に来ませんか?」という謎の声掛けがありました。後で他の旅行者と話した時に同じく「声を掛けられた」と言っていたので、個人旅行者をターゲットにしたセールスの一種なんですかね??
アブドゥールアジスハン・メドレセ
大きく立派なメドレセで、装飾に可憐な花々がちりばめられていたりと、他のメドレセと比べて柔らかな印象。黄色い色彩は、当時のブハラで最初に使われたらしいです。この王様はメルヘン好きだったのかな?
途中で王位を奪われて未完のままになってしまったらしいけれど、完成していたらたくさんの花々で彩られた可憐なメドレセになっていたと想像。
館内にお邪魔しました。
こちらも見ごたえあり。
「ほほぅ」と感心しながら上ばかり眺めていたら、首が痛くなった。ウズベキスタンは上を見上げる場面が多すぎて、頚椎症にはツライ。
展示物もありました。
そろばんがあった。
館内には土産物店がビッチリ。
昔は学生さんが勉学に励み語らったと思われる中庭も、現世では土産物店がビッシリ。
へい、らっしゃい!布製品に陶磁器、マグネットに絵葉書、いろいろあるよー。
ウズベキスタンは売られているモノがバターン化している。どこに行っても、ほぼ同じレパートリー。
しかしアレですよ。貴重な歴史的建造物が土産もで埋め尽くされるという、他所ではあまり見かけない光景。やはりシルクロードの十字路「あきんど」の国では、商売>歴史的建築物なんですかね。多くの観光客は「あの壁もじっくり見てみたいわ」と思いつつも遠慮(警戒)して近寄らず。
土産物を完全スルーしてズカズカと奥に入り込み見学しまくるオジサン。なかなか神経太いな。
ウルグベク・メドレセ
アブドゥールアジスハン・メドレセの向かいにあるメドレセです。サマルカンドにもウルグベクが建てたメドレセがあり、同じ名前でちょっとややこしい。こちらは中央アジア最古らしい。ほほぅ。
中庭です。おや?どうしたことでしょう?お向かいさんにあれほどいたお土産屋さんがいませんよぉ?
…と思ったら、日陰におるね。
タキ・ザルガロン(お土産屋さん集合)
丸い屋根が並ぶ謎の建物は、昔々世界各国の商人が集い商売(主に自慢の高級品)をしていたバザールで、現世では陶磁器や布製品、ハサミなどの刃物など、ウズベキスタン定番のお土産屋さんがギュウギュウに出店しています。
まぁ、昔も今もバザールってことですね。雑貨好きにはたまらない場所かも。
内部は丁度いい通り道になっていて、お土産は買わなかったけど数回通り抜けしました。
ウズベキスタン商人は、買いそうな人とそうでない人を瞬時に見分ける嗅覚が優れているのか、声を掛けられることも無く、本当にただの通行人状態。
ここにも屋根の上にコウノトリのオブジェがあった。
カラーンミナレットとカラーンモスク
天に向かってそびえる超ビッグなカラーン・ミナレットです。
ミナレットというのはイスラム教の地域に行くと、アラビア語で一日5回聞こえるあの唄のようなアザーンが流れる場所です。哀愁を帯びた旋律のアザーンが聞こえると「ああ異国に来たなぁ」と、しみじみ旅情を感じます。
近くで見るとその迫力は半端ないし全部写しきれない。昔々は罪人を袋に入れて上から落とすという処刑の場でもあったらしい。怖いねー。
カラーン・モスクです。
中庭です。広ーーい!中央あたりにポツンと樹木が一本。その向こうにドームの青が光ってます。
一番奥にミフラーブ(メッカを示す所)。
日本でいうところの手水舎越しにドームを撮って映えを狙う。
裏側から見たドーム。ピッカピカに光ってます。
ミル・アラブ・メドレセ
カラーン・ミナレットのすぐ近くにある、現役のメドレセ(神学校)です。こんな立派な学校で学べる子って、やっぱり選りすぐりのエリートさん達なのかなぁ?
見学できたのはココまで。この先は立ち入り不可でした。そりゃそーだわ、世界中から大挙してやってくる観光客に四六時中授業参観されたら勉強に差し支える。
…おや?
あんな所に鳩さんがおるね。
中庭らしき場所がちょっと見えた。学生さんはいなかったけれど、オジサンがいました。
お次はアルク城周辺を観光します。つづく。