20年ぶりの香港を4泊5日で駆け抜ける

さぁ、20年ぶりの香港は、どう変貌したでしょうか?滞在期間は4泊5日、香港好きなら全然足りないと思いますが、香港の楽しみ方がまったくわからない初心な我家にとっては十分過ぎる時間でした。

 

宿は九龍側に二泊、香港島に二泊です。噂通り、香港の宿は本当に料金が高いっっ。土地が無いので上へ上へとビルを伸ばすしかなく、狭い部屋にシャワールームなど全てをギュっと詰め込んだ、他ではあまり類を見ない部屋の狭さと料金の高さで、バックパッカー泣かせもいいとこですね。それでも今回はネットの口コミ情報に助けられて、かなり良心的な二軒にお邪魔できました。

 

周囲に迫る集合住宅の様子を見ると、香港で暮らすってこういう事なんだなぁ・・としみじみ納得。こんな緑も無い人工物に囲まれた場所で暮らすなんて、私には無理だなぁ。でもこうして大勢の人がここ(香港)を選んで住んでいるってことは、人を惹きつける「何か」があるんだろうなぁ・・。

 

その香港で一番最初に感じたことは、以前と比べてビックリするくらい人が増えたな~ということ!

 

どこもかしこも週末の池袋かっ!?ってくらい人・人・人。

 

週末のセントラル地区でのフィリピンお喋り女子会は以前からありましたが、

 

その規模がさらに膨らみに膨らんでいました。

さらに別の地区にはムスリムお喋り女子会まで開催されていました。みんな段ボール敷いて地べたに座り込んでいるもんだから、知らない人が見たら「何ごと!?」って思うかもしれないですね~。だってその人数が尋常じゃないのです。

でも、これだけの女性陣がはるばる海を越えて働きに来てるってことなんですよね。凄いよ女子達!

 

そして何より変わったのは、香港全体が以前の気怠く怪しい毒気が抜けて、とても健全で明るい雰囲気になっていたこと。逆にどこか気怠い30年くらい前の香港が好きだったバックパッカー諸氏にとっては、今のこの雰囲気はだいぶ物足りなく感じるんじゃないでしょうか?

その香港で、いったい何をしたら、どこへ行っていいかわからず、ど定番の街歩きをする4泊5日でした。

 

MTR太子駅からぷらぷら歩いて5分ほどの場所から始まる、花墟道という花屋さんがズラーーっと並ぶ通り。昔は素朴な構えの花屋さんが並ぶのんびりした場所だったんですが、まず店舗の様子が一変。区画整理でもしたの!?ってくらい綺麗になって、のんびりとした素朴感は無くなっていました。しかも店舗の多くは撮影禁止になっています。

そんな変化の多い香港において、ここは変わってませんでした!

 

鳥とその飼育用品を売る店、そして自慢の愛鳥を持ち合い美声を披露したりする鳥マニアの楽園「雀鳥花園」。

 

 

この一角だけは昔ののんびりとした香港にタイムスリップできました。

 

そして金魚系を売る店が並ぶ通菜街。ここも変わっちゃいましたね。花墟道と同じく素朴な金魚屋さんが並ぶ、どこかのんびりとした景色が、こざっぱりとした店構えの今どきの熱帯魚屋街に変わってました。例によって撮影禁止多いです。

 

唯一変わってないのが魚に対する人々の熱意かな。風水どうのこうのもあるけれど、基本的に香港の人は生き物が好きなんだなぁと思います。犬を飼ってる人もたくさん見かけるし。

 

この魚たちの売られっぷりを見て三昧が「かわいそう」ってしきりに言ってましたが。

 

よっぽどこっちの餌カエルの方が気の毒。

 

そして、こちらも、ど定番の香港スターの像と手形があるとこ。(名前知らない)

ここに来る前に通過したSOGOの大行列には驚いた!みんな何を買い求めているんだろう?と近づいてみると、資生堂の赤い瓶の化粧品のパンフを眺めてました。

 

さて、香港スターの像と手形ですが・・ここまで来て気が付いたんですが、そもそも香港スターってよくわからない。知っているのはブルスリーとジャッキーチェンとサモハンキンポーとユンピョウくらいかな?え?年代を感じるって?

中国のお客さんが手形に手を重ねてキャッキャと喜んでいたので、三昧も真似してみると・・

「なんか手形がヌルヌルしてる・・」

スターを知らないただの物見遊山観光客が行くとこうなります。

 

おそらく一番有名かもしんないブルースリー像は、ロングスカートをおめしでした。

 

 

ど定番中のど定番、キングオブど定番のビクトリアピークも行きました。運動不足を兼ねて、世界一長いと評判のミッドレベルエスカレーター終点から歩いてみました。

ミッドレベルエスカレーターの終点を右へどんどん進み、遊歩道の上り口までは道路沿いの歩道を歩くんですが、この間には何棟もの富裕層向きの高級マンションが点在しています。ところがその入口の多くには不動産の販売員が立っていて、私達が歩いていると(おそらく年齢的に)物件を見学しに来たと思われて「どうぞこちらへ」と案内されまくりでした。

あちこちのマンションで見学会を行っていることを考えると、もしかして大量に流入する新世代の居住者がいる一方、昔ながらの古きよき香港を愛した人々が、少なからずどこかしらへ流出したんじゃないのかなぁ?なんて勝手な想像をしてしまいますが。

夕暮れのビクトリアピークのハイキングコースは、周辺のマンションに住む富裕組もしくはビジネス駐在ファミリーの散歩道となっていました。香港では珍しく緑あふれるここは、人で溢れかえるせわしないバス通りとはまったく別世界のようです。

 

途中の雑木林にひっそりと残る「松林砲台」にも寄ってみました。

 

ここはその昔英国軍が造った砲台跡地になります。

ざっと時系列に松林砲台の辿った歴史を並べると

1901年英国軍により着工、4年後に完成。その後、英国軍はマウントデービスに大型砲台を建設、松林砲台は1913年に武装解除。第一次大戦後、再び軍用開始。1930年前後には新たに高射砲、シェルター、キャンプを設置。1941年12月日本軍による空襲、12月15日日本軍の攻撃が命中し撤退。第二次大戦後は荒廃の一途をたどる。

現在は香港に残る唯一の戦前型防空砲台として保存されている。

 

 

激動の流れに翻弄されながら、いまはひっそりと雑木林の中で行き交う人々を見つめています。

 

途中にはいくつかのビューポイントもありました。

ピークトラムの駅に近づくと一気に観光客が増え始めました。

 

ピークトラムの駅から少し上がったマウント・オースチン・プレイグラウンドで夕暮れを待ちます。日暮れと共に急に気温が下がって肌寒かったな~。

 

そしていよいよ、香港で一番の観光名所、夜景を見に行きます!

 

おおおっっ~~っっ。

香港に来たらやっぱりコレですね、コレ。

 

 

帰りは三昧の要望によりピークトラムに乗りました。30分くらい待ちましたが、なんとその列にヌルっと横入りする人が後を絶たないんですよ。その都度、割り込まれた人が追い出したり、係の人が厳しく怒ったり。いやーービックリしました。この状況で横入りを企てるその気の強さに驚きましたよ。小心者の私にはそんなこと、とてもじゃないけどできませんって。

香港では食べ歩きも可能な限り楽しみました。

 

そういえば昔は「食といえば香港」なんて言ってた時期もありましたが、いまじゃそのお株を台湾や日本に奪われちゃってる感があります。

 

 

香港では相席が当たり前で、超絶に狭い席に香港カップルと相席になった時は絶句したけれど。全員が麺類を頼んだもんだから、麺をすするタイミングをずらさないと頭がゴッツンしそうになるレベル。

 

 

香港で一番美味しいのは、やっぱりあの濃厚なミルクティーだと思います。

 

市場です。

 

泊まった宿の二軒とも、すぐ近くに市場があって、ちょっとだけ香港人気分を楽しめました。

 

溜まった洗濯物はコインランドリーで一気に洗濯!そういえば、フラッと立ち寄ったチョンキンマンションにもコインランドリーがありました。香港でコインランドリーなんて想像もつかなかったから、見つけたときは感動したな~。

そうしてアッという間に4泊5日は過ぎてゆき、香港を去る日がやって来ました。

20年ぶりに再訪してみてわかった事は、あの若かりし頃のジャッキーチェンが派手にアクションをキメていた時代の香港はもう無い、ということかな。

それでは、きょうはこのへんで。

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