羅臼国後展望塔にて北方領土を思う|車中泊で日本半周2018年

2018年8月20日(月)

知床の朝は釣りからはじまるようです。朝もはよから、たくさんの釣り人で賑わっています。昨夜、隣近所で車中泊していた人達はどうやら釣り目当てだったようで、かなり早朝からガチャガチャと準備をしていました。釣りをするのは地元の人も同じで、カブでブィーーンとやってきた男性が、マス?のような大きな魚を釣り上げると無造作にスーパーの袋に放り込んで、再びブィーーンとカブに乗って帰ってゆきました。あの魚は朝食のおかずにするんでしょーか?

 

こちらでも。

 

せっかく早く起きたんで、観光名所のオシンコシンの滝を見学しました。爽やかで良いですね~。滝にはあまり興味がないようで、5分で見終わってしまいました。

 

本日は知床峠を越えてウトロから羅臼側へ行きます。

 

羅臼岳はなにやら綿あめのような雲がもっさりとかかってますが、

 

きょうも北方領土の国後島がよく見えました。

さて、はるばる(?)知床峠を越えて羅臼側にやってきたのには目的があります。

そう、

 

羅臼国後展望塔

こちら、羅臼国後展望塔にお邪魔するためでした。

 

実はお恥ずかしながら北方領土については、ぼんやりとした概要しかわからず、もっと詳しく知ろうとやってきたのです。
 

そもそも北方領土問題とはなんぞや?という人はこちら

北方領土問題とは
 

“北海道の北東洋上に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島及び択捉(えとろふ)島の北方領土は、日本人によって開拓され、日本人が住みつづけた島々です。これら北方四島には、1945年(昭和20年) 8月の第二次世界大戦終了直後、ソ連軍により不法に占拠され、日本人の住めない島々になってしまいました。非常に悲しいことです。
北方四島は、歴史的にみても、一度も外国の領土になったことがない我が国固有の領土であり、また、国際的諸取決めからみても、我が国に帰属すべき領土であることは疑う余地もありません。
北方領土問題とは、先の大戦後、70年以上が経過した今も、なお、ロシアの不法占拠の下に置かれている我が国固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題です。
内閣府は、歯舞群島、色丹島、国後島及び択捉島の北方四島早期返還の実現を目指して、外交交渉を支える国民世論の結集と高揚のための広報・啓発の充実、政府と民間が一体となった返還要求運動の全国的な発展・強化を図るとともに、北方四島との交流の推進など、北方領土問題解決のための諸施策を推進していきます。”
(内閣府ホームページより)

 

 

館内には北方領土に関する展示物が掲示され、パンフレットもいくつか置かれていました。それらにじっくりと目を通して、北方領土についてもっと深く学びます。

 

その間に何人もの来館者があったのですが、ほぼ全員がササッと10分もしないうちに退館してゆきます。たぶん多くの観光客はそうなんだと思います。我家のようにクドクドと舐めるように資料を見まくる来館者は稀なのかもしれません。そんな私達を管理人のおじさんは最初は(熱心な来館者だなぁ)くらいにしか思わなかったかもしれませんが、30分、1時間と経つうちに(うわ~変なの来ちゃったなぁ・・)と思っていたかもしれませんよ。

 

そして、いったん退館し屋外の望遠鏡で国後島を見たあと再び館内へ逆戻りした瞬間、おじさんの眼がクワっと開き、あきらかに驚きを表していました。(ええっっ~~また戻って来たのぉぉぉ!?←おじさんの心の叫び)

 

せっかくなので、もっともっと深く知るために、おじさんにお願いしてビデオも見せてもらうことにしました。

 

とはいえ、もうじゅうぶん資料は見たので軽めの1番(16分)をお願いしたのですが、熱意をかわれてのサービスなのか、流れたのは10番の長編(26分)でした。最後に流れる元島民のおばちゃんの「根室の親方」というフレーズが妙に頭に残りました。

 

ここから見る国後島は、本当に近いんですよ。羅臼岳から見たときも、こんなに近いんだ・・って思いました。

 

館内では繰り返し加藤登紀子さんの歌う知床旅情が優しくゆったりと流れています。その歌詞を聞きながら、国後はこんなに近いのに、やっぱり(はるか国後)なんだなぁ・・と、思うと、なんだかとても切なくなりました。

 

なんでこんな大切なことを多くの人は忘れてしまうんだろう。
 
「思い出しておくれ 俺たちのことを」って、チャチャ岳や羅臼山がそう言っているように聞こえました。

 

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