さて奥尻島から戻った後、再び函館から大間へとフェリーで戻り、湯めぐりや観光をしながら南下しました。
平日の恐山は貸し切り状態だったり、
連泊した須川高原温泉では、ずっと雨だったり、
いままで遠くて足が向かなかった御嶽山周辺の温泉がなかなかおもしろかったり、
天橋立とか、鳥取砂丘とか、ど定番の観光地も楽しんだり。
投入堂は、いろんな意味でおもしろかったり、
安来で釘を踏んでパンクしちゃったこと。
この時「安来は金属工場が多くパンクがとにかく多い」ということを初めて知ったこと。
いい大人が鬼太郎ルーム泊まっちゃったり、
温泉津の古民家を再利用したキッチン付きのこの部屋は最高だったり、
松の湯の間欠泉と、その周囲に書かれている言葉の数々がおもしろかったり、
平成3年から5年にかけて起きた雲仙普賢岳噴火による火砕流は数千回にも及んでいたこと。
その被害の甚大さを、まったく知らなかったこと。これは実際に足を運んでみないと本当にわからなかった。
知覧から飛び立った特攻隊員は、まだあどけなさが残る青年達だったこと。
奴留湯は評判通り素晴らしかったこと。
そして〆は別府に1週間滞在してのんびり湯めぐりしたこと。
たった三ヵ月弱の旅だったけれど、道中の全てが楽しかった。
そして10月20日、日本半周旅を終え無事に家に戻って来ました。
振り返ってみると、やっぱり三ヵ月弱では一周なんて到底無理で(ただ通り過ぎるだけならできるかな)、九州の離島や沖縄に行けなかったのが心残りです。
この旅で、たくさん温泉に浸かって、たくさん観光地を巡りました。感じたことは日本って意外に広いんだなぁということと、Wi-Fiがまだまだ整ってない場所が多すぎるなぁということ。そして何より、遊び続けるって大変だなぁ、ということ。遊び続けるって、毎日仕事に通うより数倍気力が必要だと知りました。
さて、ここまで来て北海道の奥尻島から突如〆にかかったのには深いーーーい事情があります。(奥尻島以降の旅に関しては、またいつか追々記事にしてアップしたいと思います。)
それは・・・
次なる動きがありまして・・・。
10月20日に帰宅した、その一週間後。
・・・・・?
・・・・・・・!?
なにやら、はしご湯的新たな動きが始まってますが・・
詳しくは後ほど!!