
2019年9月
ウズベキスタンのタシュケント滞在中に、抑留日本人に所縁のある2か所の場所を訪ねました。
ヤッカサライの抑留日本人墓地

ウズベキスタンで、ここは必ず行こうと決めていた、ヤッカサライの抑留日本人墓地です。
第二次世界大戦終戦後、多くの日本人が世界各地で強制連行され、劣悪な環境下での過酷な強制労働を強いられました。中でも旧ソ連による「シベリア抑留」は、多くの映画や文学の題材になっているので、その無慈悲さを知る人は多いと思います。
そのシベリア抑留からの移送先のひとつが現在のウズベキスタンでした。当時のウズベキスタンには約2万5千人が移送され、発電所や道路、劇場や学校など多くの建設に携わり、そして帰国の願い叶わず800人を超える方々が亡くなったそうです。

タシュケントの抑留日本人墓地は2か所あり、そのひとつが、ヤッカサライモスクの墓地です。

モスク向かって左側のゲートをくぐり進むと、しばらくは地元ウズベキスタンのお墓が続きます。

どんどん奥へ歩いて行った先に、日本人墓地がありました。広い!そしてキレイ!お隣さんはドイツ人墓地でした。

訪問前は「ウズベキスタンにとっては遠い異国の見知らぬ人達だし、宗教も違うし、霊園の片隅にこぢんまりとした慰霊碑がポツンとあるだけかな?」「放置されて草ボーボーだったら嫌だな」なんて思っていたら、公園のように明るく管理の行き届いた、気持ちの良い墓地でした。日々手入れをしてくださる地元の方に感謝です。

ここには生前の帰国が叶わなかった多くの日本人が今も眠っていました。

慰霊の碑もありました。

裏には埋葬されている方々の名前と出身地が刻まれていました。

モニュメントがあり、その向こうには、ウズベキスタン各地の日本人墓地と、埋葬者数が刻まれた石板がありました。
コーカンド240名、ベガワート146名、カガンその1墓地7名、カガンその2墓地153名、フェルガナ2名、アングレン133名…

厚生労働省の遺骨収集事業によると、ウズベキスタン国内には13か所の埋葬地があるとされ、うち2か所は所在未確認(未整備)、また宗教上の理由によりウズベキスタンでは遺骨収集の許可が得られていないそうです。

厚生労働省発表(令和7年9月)
ウズベキスタン戦没者数812人
うち未収容遺骨数812柱
終戦から80年も過ぎたというのに、ウズベキスタンからはまだ一人の帰国も叶わず、今も遠い異国の地で故郷に戻る日を待ち続ける人達がこんなにいました。
忘れてはいけないのが、彼らが望んでこの地に来たわけではないこと。
長い年月が過ぎて「もう過去の事」と風化させては、決していけないと思いました。
ナヴォイ劇場

シベリア抑留された日本人は、移送先のウズベキスタンで多くの建設に携わりましたが、その中でも断トツに知名度が高いのがナヴォイ劇場だと思います。
抑留という暗い出来事の中で、ウズベキスタンの人々が感銘を受けた日本人の真面目に働く姿や、地域の人々との良好なコミュニケーション、そしてその後の出来事もあり、抑留日本人を偲ぶ建造物として後世に語り継がれてきました。
…というわけで、もちろん見学に行きました。

SFチックで妙にギラギラした光沢を放つ、地下鉄コスモナフトラル駅(Kosmonavtlar)から、ぷらぷら歩いて行ってみました。お隣のムスタキリク・マイドニ駅からも、それほど変わらない距離を歩いて行けそうですが、コスモナフトラル駅のギラギラ感が好きなので、この日はこちらを利用。

ナヴォイ劇場周辺は広ーく整備された公園のようになっていて、徒歩圏内にはウズベキスタンの英雄アミール・ティムールの像や噴水もあって、散歩するのに丁度いい場所でした。

ほほぅ、あれが、かの有名なナヴォイ劇場ですか。国立の劇場でバレエなどを公演してるらしい。
1966年に起きたタシュケント大地震では、多くの建物が倒壊した中でもナヴォイ劇場はビクともせず、人々の避難所として使われたそうです。

繊細でレースのようなレリーフがとても綺麗。

ありました、ありました。見たかったプレートがありました。

細かでロマンチックな装飾をじっくり眺めてしまう。

ウズベキスタンの初代大統領が親日家で、日本人がナヴォイ劇場の建築に携わったことを伝えるプレートに、捕虜と記載することを強く禁じた有名なエピソードがあります。
こうして日本語で刻まれた文章を見ると、当時の日本人達の頑張りに思いを馳せて、なんだかジーンと胸が熱くなりました。

夜のナヴォイ劇場にも来てみました。

ゆっくりと、いろんな色に変化するライトアップが綺麗。

もし時間が合えば、一度バレエも観てみたいなぁーと思いつつ、結局観られず終い。

抑留日本人と呼ばれた大勢のアニキ達。彼らが携わったナヴォイ劇場は、完成から70年以上経った今も力強く立ち、美しく輝いていました。
