【恐山】田園に死すと極上温泉

下風呂温泉を出発した後は、下北半島に来たら外せない「恐山」へ向かいました。恐山は過去何度か訪問しているものの、それでも足を運ばずにはいられない魅力があります。
 

恐山冷水

私達は「むつ」の町から県道4号線で恐山へ向かいました。恐山への道は多少クネクネしているものの、しっかりと整備され走りやすいと思います。

鉄道駅からバスで目指す方は「下北交通公式サイト」から時刻表をどうぞ。
 

その県道4号線を「むつ」から向かうとやがて左手に「恐山冷水」が現れました。この冷水、なんと若返り伝説がある水で、一杯で10年、二杯で20年、三杯飲めばなんと生涯ピチピチらしいですよ。

鬼岩(畜生観音)

さらに車を走らせると視界が開け、右手にいまはもう廃業してしまった民宿しゃくなげ荘がありました。こちらのお宿は恐山へ徒歩圏内にあり、手ごろな料金で宿泊できた貴重な民宿でした。かなり個性的な独自源泉をお持ちの宿でもあって、ご主人や女将さんの人柄も良く、廃業されたのが本当に残念です。
 

「しゃくなげ荘」の裏手、鬱蒼と茂る石楠花の林の中に「鬼岩(畜生観音)」と呼ばれる奇岩があります。まだ県道4号線が整備される以前の昔、過酷な道のりを行き来する道中に命を落とした家畜たちを埋葬・供養した場所が、この鬼岩(畜生観音)だったとのこと。その鬼岩を代々守っていたのがこちらのお宅でした。
 

近くで見るとわかりにくいんですが、恐山からみると本当に観音様に見えます。

周囲の源泉地を探索するマニアさんもいると思いますが、この辺りは熊の目撃もあります。特に「しゃくなげ荘」が廃業して、ますます人と動物の境が緩くなっていると思われます。どちらさまも、ご用心。

 

「田園に死す」で老人学生が渡った三途の川と太鼓橋

さらに車で進むと「三途の川」と称される正津川にかかる赤い太鼓橋があります。寺山修司の映画「田園に死す」で、白塗りの老人が学生服を着てゾロゾロとこの太鼓橋を渡るシーンはインパクト大でした。
えっ!?あの寺山修司の名作中の名作「田園に死す」を知らないと!?恐山の世界観がこれほど陰鬱に表現された映像は他に類をみないですよ!訪問前でも後でも、ぜひ一度見てほしいです。

まずはAmazonの田園に死すページでレビューをどうぞ
田園に死す

 

この太鼓橋、以前は普通に歩けましたが、なんと2018年の訪問時は老朽化のため通行止めになっていました。丈夫な石橋に架け替え予定とのことです。

太鼓橋のかかる正津川はやがて津軽海峡に注ぎます。その津軽海峡の河口横には優婆寺というお寺さんがあり、十数年前にお邪魔した時は、青森県で見られる「冥婚」の花嫁人形が何体も祀られていました。冥婚とは若くして亡くなった子の供養のため「あの世」で婚礼を行う習俗で、山形県のムカサり絵馬が有名ですが、実はここ青森県でも行われています。そして、これから向かう恐山にも花嫁人形が祀られています。

 

総門(ここより恐山へ入山)

総門横のチケット売り場で入山料を支払うと、総門をくぐっていよいよ恐山入山です。入山料を支払うとチケットと一緒に、恐山巡礼の道筋などの地図が記されたパンフレットももらえます。わりと簡易的なイラスト地図ですが、これを見ながら問題なく巡ることができました。

恐山・入山データ

  • 5月1日~10月31日※冬期閉鎖
  • 6時~18時(※恐山例大祭・秋季祭期間中5時30分~)
  • 入山料500円(宿坊宿泊者も入山料が必要)
  • 一度入山料を支払えば同日であれば何度も出入り可とのことです
  • 恐山をGoogleマップでみる

「恐山の見学にどれくらい時間がかかるか?」ですが、私達の場合、温泉に入る時間を除いて、ゆっくり歩いて1~2時間くらいでした。恐山公式サイトをみると、やっぱり1~2時間とあったので、このくらいが平均値なんだと思います。温泉に入るなら湯小屋一か所につきプラス30分くらいかな。

 

恐山を快適に巡るポイント

夏の恐山は灼熱地獄!
天気がいい夏場の恐山はとにかく暑いです。涼を求めてここに来ると、「東北=涼しい」が幻想だったことに気づかされます。ほとんど日陰がなく照りかえしの強い炎天下を歩くので、日除けと水分の持参は必須です。「お山めぐり」の途中で熱中症で行き倒れなんてシャレにならない。

足元注意報!
ガレ場の「お山めぐり」は小石などが多く足をとられやすいです。早いハナシが結構コケやすい。多少のアップダウンもあり、マムシも普通にいるのでスニーカーなど足を保護できる歩きやすい履物をおすすめします。

↓この看板の所に本当にいました


 
散策前のトイレ必須!
ガレ場を歩く巡礼路「お山めぐり」に入るとトイレは(記憶の限りでは)八角円堂近くまでないので、先に済ませておくことを強力におススメします。

 

私は総門を入って右手にある恐山寺務所(無漏館)でお借りしました。地図を見ると駐車場にもトイレはあるみたいです。

温泉に入りたい人はタオルもお忘れなく。

 

恐山とイタコ

総門をくぐると、綺麗に整備された参道が、正面の地蔵殿までドーンと真っすぐにのびています。この参道の両脇に、本堂・宿坊・湯小屋などが点在します。

 

大祭期間中に訪問したときは総門すぐ横に「イタコマチ」ができていました。画像は2005年の大祭時期の様子です。今はそれほどでもないですが、昭和時代には恐山のイタコはよくTVに取り上げられ、恐山=イタコみたいなイメージになってました。

イタコというのは師匠の下で特別な修行を積んで霊媒の力を免許皆伝した女性のことで、自分の体に亡くなった人の魂を憑依させ、その言葉を伝える、といった「口寄せ」と呼ばれる儀式を行います。・・・と私なりに解釈してますが、これで合ってますか?

イタコさん達は常に恐山にいるわけではなく、普段はそれぞれの町で仕事を行い、こうして大祭時期に恐山へ集まります。その様子を「イタコマチ」と呼んでいるようです。

以前は故人ひとりにつき口寄せ料約3000円でしたが、最近は5000円位が相場なのかな?亡くなってまだ日数が経っていない人は口寄せができないと聞いたことがあります。訛りの強くない、聞き取りやすい人が人気とのこと。

 

以前は↑こんな感じで大祭以外でも寺務所で口寄せを行ってましたが、2018年には看板が無くなっていたので、もうここでは行わなくなったのかなぁ?

恐山とイタコを知る一冊「イタコとオシラサマ―東北異界巡礼」(Amazon)
恐山のイタコや、青森県に伝わる冥婚人形などを取材したルポルタージュです。(今となっては)貴重な写真も多く、民俗学としてかなり興味深い内容となっています。「イタコとはなんぞや?」を少しばかり知って恐山に行くと、また違った景色が見えてくるかもしれません。難点はこのてのマニアックな本は値段が高いってことですね。意外と図書館にあったりもするのでダメ元でリクエストを出されるのもいいかもしれません。

 

恐山宿坊 吉祥閣

総門前の参道を進むと右手にドーンと立派な宿坊があります。その昔は妖怪が出そうな古びた建物だったらしいですが、十数年前にこんなに立派に立て替えられました。

吉祥閣には一度だけ宿泊利用しましたが、広々と使い勝手の良い客室、美味しい精進料理、温泉を利用した立派な大浴場、館内はお香がたかれ、まるで高級旅館のようでした。朝のおつとめにも参加でき、ご先祖供養もしてくれて、境内にある湯小屋も日帰り客のいない時間帯に入れて最高でした。もし日数に余裕があれば、ぜひ宿泊をおすすめしたいです。ただ大祭や秋詣り期間中は相当混むらしいんで、静けさを味わうためにも、それ以外の平日で。

 

よく恐山を「不気味」とか「怖い」とかいう人もいますが、夜の湯小屋ですら全然怖い事はありませんでしたよ。ここで働くお姉さん方と一緒に温泉に浸かりながら「こうしてここで暮らしている人もいるのに、ぜんぜん怖くないのにねぇ」なんてお喋りしたのは良い思い出のひとつです。

 

恐山 山門と本堂

誰もが撮影する重厚かつ美しい山門です。その左手に本堂があり、この堂内にも冥婚の花嫁人形が数体祀られていました。宿坊に宿泊した際はここで先祖供養をおこなってもらえました。

 

田園に死すの舞台にもなった湯小屋

恐山境内には全部で4っつの湯小屋があり、入山料を払えば自由に利用することができます。

 

参道の左手には湯小屋が二つ並んでいて、手前が女性用「古滝の湯」、奥が男性用「冷抜の湯」、参道を挟んで右側に男女入れ替え制の「薬師の湯」だったんですが、

2018年9月の訪問時は

  • 古滝の湯(女性)
  • 冷抜の湯(女性)
  • 薬師の湯(男性)

になってました。

恐山湯小屋の男女振り分けは流動的ですね。次に行ったらまた変わってたりして。

 

湯小屋の後ろに林立する柱は大きな卒塔婆です。お墓によくあるギザギザ板の大きいバージョンです。一本につき数十万するとか。

 

もう一軒の湯小屋「花染の湯」は、宿坊の裏手あたりにあります。ちょっとわかりにくい場所にあるので、ここまで来るのは温泉好きマニアさんがほとんどだと思います。

 

「花染の湯」は混浴なので女性はちょっと躊躇してしまいそうですが、この湯小屋は参道沿いの三軒に比べてあまり利用者がいないので、タイミングを見計らってぜひ。

花染の湯は映画「田園に死す」では草衣が赤子を産み落とす印象的なシーンで使われていました。その世界観そのままに、他の三軒とはちょっと違う秘密めいた雰囲気がある湯小屋です。

 

恐山巡礼路・お山めぐり

 

総門から真っすぐのびる参道は地蔵殿に突き当たります。宿坊に宿泊すると朝のおつとめは、この地蔵殿で行われ、ご本尊を間近に拝むことができました。

 

地蔵殿の左側から、荒涼とした「お山めぐり」がスタートです。ここから先は、入山料の窓口で貰える簡易マップが活躍します。

 

多くの人がイメージする「恐山」は、ここから先の光景じゃないでしょうか。まるで「あの世」への旅路を思わせる荒涼としたガレ場に点在する仏像や無数の石積み。そして亡き人への品々、誰もが思い描く「恐山」の景色が広がります。

 

恐山巡礼路(お山めぐり)に入ってすぐの右手には、裏山に上がるようにして「奥の院」へ続く階段があります。「お山めぐり」のメインルートから外れる形になるので行かない人が多いですが、せっかくなのでここにも立ち寄ります。

 

のぼりきると不動明王の鎮座する奥の院に行きつきます。樹木に覆われた恐山らしかなぬ場所です。※画像は2005年撮影。

 

この案内板によると、不動明王、恐山のご本尊、そして宇曽利山湖の向こうにある釜臥山の院釜臥山嶽大明神本地釈迦如来が一直線に奉納されていて、その三聖地をお参りすることで結願が決定成就されると記されています。

 

奥の院(不動明王)から見た、ご本尊が安置されている地蔵殿と釜臥山。

 

再びガレ場の恐山巡礼路に戻って荒涼とした岩場地帯を進みます。

 

岩場地帯といっても道はしっかり整備されています。ここも田園に死すの印象的な場面に登場します。化鳥(八千草薫)は美しかったな。

 

英霊地蔵尊。

 

樹木には死出の旅路を歩く亡き人に使ってもらうために、たくさんの手ぬぐいや草履がくくりつけられています。いつだったか数年前に、この森の石の上に男女ペアの腕時計がそっと並べて置かれていました。もしかしたら亡くなった御両親のものかなぁと思いました。

 

血の池地獄です。この画像は10年以上前に撮影したもので、その時はまだ赤く染まっていましたが・・・

 

いまはその名前に当時の面影が残るだけです。

 

目の前に美しい極楽浜が近づいてきました。

 

湖の向こう側は彼岸(あの世)です。この浜で亡き人の名前を呼ぶと懐かしい人に会えるとか。そうでなくても、鬼籍の人となった懐かしい顔が、当時のままの姿でシレっと何ごとも無かったように砂浜を歩いて来そうな気がします。

 

これは2003年の極楽浜です。その当時は湧き出る硫黄で砂浜が黄色く染まっていましたが、いまではそれもずいぶんと少なくなった気がします。

 

大祭でもなんでもない平日の極楽浜は、ただひたすら静かです。あまりに澄んだ水と真っ白な砂浜に、どこか南国のビーチにでもいるような気になってしまいました。

 

その極楽浜に以前は無かった慰霊塔が建立されていました。東日本大震災慰霊塔です。

 

再びガレ場を歩いて参道方面へ向かいます。帰路は怒涛の地獄連荘です。

 

重罪って・・何やらかした?

 

ここでの真の地獄は熱帯地獄かなぁ。照り返しが暑い。

 

この画像も2003年に訪問した時のものですが、こんな具合に以前はあちこちでモウモウと噴気がたちのぼっていました。

 

▲仏像の下からも噴気がシューシューでアチチ

 

▲お賽銭も真っ黒

ところがその訪問直後に起きた十勝沖地震を境に、噴気が弱まってしまったとのことです。

その後、ほとんど噴気が見られない時期もありましたが・・・

 

今回(2018年)お山めぐりを歩いてみて、噴気が弱まっていた一時期よりは、少しは復活してきているのかな?と思いました。

 

おぉ、現世に戻って来ました。汗かいたから、〆のひとっ風呂いただいていこう。

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